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はじめに

  • Kanako Nagayama
  • 4 時間前
  • 読了時間: 2分

最後になるだろう大学院を修了してからしばらくの間自由に過ごしていました。お暇をもらい、さまざまな映画、ドラマ、本に触れ、京都を中心に様々な店を訪れ、自分を含む誰かが作ったものを食べて生きてきました。この生活は割合を下げながらも続いていきますが、そこで自分のこれまでのキャリアを踏まえて見えてきた芸術文化の世界を言語化してみようと思いたちました。


わたしは4つの学位を持っています。ポーカーだったらダブルカードでいい勝負です。最初の大学で心理学と言語学を先行する形で教養学士を、紆余曲折あり新卒で務めたコンサルティング会社を休職しているころから通信課程で芸術学士を、その後文化政策の修士号、そして京都で少し珍しい全て英語のプログラム教育で芸術学修士号を取得しました。現在はまずキュレーターとしての経験値をより多く積んでいくために先生の元でアシスタントをさせていただいています。


わたしにとって今や美術館は作品を鑑賞するだけの場ではなくなりました。作家の意図を紡いだキュレーターやディレクターが何を仕掛けたのか、配置は、照明は、構成は。そしてその展覧会そのものを支える美術館という制度や文化政策が視界に入ります。学位をもったうえでこの複合的な視点があるのも珍しいかと思い、美術館の違う見え方を共有できたらと思っている次第です。


昨今、中堅のキュレーターとされる人々(先輩にあたりますが)は美術館ではない場所(=オフ・ミュージアム)で生じる芸術に目を向けがちなように感じます。制度批判と呼ばれる文脈に置かれるだろうこの視点ももちろん重要なトレンドではありますが、私としては日本に幾多ある美術館(公立/私立含む)というハコモノから目をそらしているような気がしてならないのです。文化政策を修めた立場として、日本における美術館をないがしろに芸術文化を語ることはできないと考えます。この場で私が語る多くのことは、上述の美術館の一癖ある見え方に加えて、こうしたハコモノを起点とする文化政策についても取り上げていく形にになると思います。


さしあたりいろいろな文献を漁りながらお届けしていきます。



 
 
 

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